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エクスカーション8「松花堂コース」のご紹介

2009年9月 6日

こんにちは。JIA京都会の志村公夫です。エクスカーションを担当しています。

エクスカーション8松花堂コースのご紹介をさせて頂きます。この松花堂コースの解説者は、松花堂の茶室の施工監理をされた建築家の安井清氏です。

さて、
「松花堂」といえば、皆さんはまず「松花堂弁当」を思い浮かべられると思うのですが、今回訪れる「松花堂」と「松花堂弁当」は深く結びついています。

まずは、以下をご一読下さい。


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方丈の茶室「松花堂」


京都市の南西に位置する男山の石清水八幡宮の境内には江戸末期まで数十の坊があり社僧が住んでいました。

江戸初期の寛永年間(1624~1644)に活躍した松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)は寛永の三筆に数えられる文化人です。

社僧であった松花堂昭乗の滝本坊には書院や茶室があり多くの文人墨客が訪れていました。
小堀遠州、本阿弥光悦など多数の文化人と交友がありました。

松花堂昭乗が男山の泉坊に建てた方丈と書院と小堀遠州の作といわれる庭園が再現されて八幡市の史跡が「松花堂」となっています。

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松隠


園内の竹類は上田弘一郎博士、椿は渡辺武博士の指導によるもので、千葉から山桃の巨木を移植し、宮崎の金明竹、高知の蓬莱竹も移植され多くの珍しい竹のある庭園になっています。

庭園には宇治川の石が用いられ、書院の玄関は桃山城の遺構とといわれ、梅の間、柳の間、奥の間、と続き、主室の間に至ります。

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主室の間


主室の間は後陽成天皇、孝明天皇が行幸された玉座の間であり九畳敷で間口二間の床の間、上段の間に違い棚、帳台構えをそなえ内法長押、天井長押、折上げ格天井の本格的な書院作りです。

茶室は中村昌生博士の指導により松隠、梅隠、竹隠の3棟の茶室が作られています。小堀遠州が男山の滝本坊に作った閑雲軒(松隠)と千宗旦好みの四畳半茶室(梅隠)を再現しています。

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梅隠


梅隠は四畳半の茶室の外に土間の内露地が作られています。中潜りから入る内露地には蹲踞が作られており貴人口から四畳半の茶室に入ります。茶室の床の間は珍しい土床です。

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竹隠


また東京の永野重雄氏の四畳半茶室の写し(竹隠)が建てられています。

昭和45年に松花堂美術館が新築され、大阪万国博覧会の第二会場として常陸宮殿下をお迎えして開館し、内外に広く知られるところとなりました。

八幡町制から八幡市制に引き継がれるときに関係者の協力によって、八幡市の公園になり今日に至っています。


さて、松花堂の茶室や庭園のご説明をさせていただいたところで、「松花堂弁当」について話は戻します。上記を読んでいただいて、社僧であり文化人であった松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)たる人物が登場したのですが、名前のごとく松花堂は松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)が隠居所として構えたものでした。

「松花堂弁当」のお弁当箱は、正方形で四つに区切られていますね。この箱は、もともとは農家の種子入れだったそうなのですが、それを松花堂昭乗が隠居場「松花堂」で煙草盆や絵の具入れに使っていたそうなのです。
昭和8年に、吉兆の創業者・湯木貞一が、松花堂昭乗の旧跡での茶会に出向いた際、ある部屋の隅に置いてあるこの箱をみつけ、それを弁当箱に考案されたそうです。これが、「松花堂弁当」の始まりです。

松花堂弁当の詳細は、私達が松花堂を見学したあと昼食をとる「吉兆・松花堂店」のホームページにも詳しく載っていますので、ご覧ください。

「松花堂」と「松花堂弁当」を堪能いたしましょう!ご参加をお待ちしております!

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posted by fkak |category ; お知らせ , エクスカーション