三条通りのむかしのお話です。 三条通り
JIA京都の活動 建築と子供たちin KYOTO
(1)道の歴史

・三条通り、特に烏丸通りから寺町にかけてのエリアは、今や週末観光のメッカで人気と注目を集めています。その理由は、日本有数の明治・大正の近代建築、江戸時代の町家、新しいショップやカフェなどが混在する、街並みとして一見ごちゃごちゃの中にも、京都のどの通りにもない独特な雰囲気にあるようです。
今回の「建築と子供たちin KYOTO 三条通りひみつ発見」ではまさにそのエリアをズバリ探検しました。

・三条通りは京都市の中央部にある東西路で、東は山科区「四ノ宮」、西は右京区「嵯峨天竜寺」までの長い道のりです。

【三条通りエリアマップ】
三条通りエリアマップ

--平安期--
「三条通」は平安期から使われている通り名で、平安京の三条大路に相当します。
平安後期からの経済の発展とそれに伴う町小路の発展により、三条町を中心に多くの商工業座で賑わいました。

--鎌倉期--
・鎌倉期には、西京極から嵯峨に道が延び、鴨川以東は中世鎌倉街道と呼ばれ主要な交通路として利用されました。

--戦国期--
・戦国時代には荒廃した時期もありましたが、東国・西国への道筋であったことから復興していきました。

--室町期--
・豊臣秀吉は、軍馬を通すため三条大橋を架橋させました。

--江戸期--
道路元標
江戸時代には東海道の終点は三条大橋となり、商業、旅館などで京都の中心として賑わいました。(ちなみに、東海道の起点は東京・日本橋です。)
つまり、三条大橋が京都道路元標とされたのですが、三条大橋の中心に元標をたてるわけにもいかず、三条大橋の西詰めの南側に建てたそうです。現在は、三条大橋からおよそ1キロメートル西の烏丸通りと三条通りの交差点西南の角、京都銀行前に移っています。

【道路元標識とは】
旧道路法、同施行令に「道路の付属物」として規定され、同法に基づき設置されたものです。

--明治期--

三条通りを境に北を上京、南を下京とし、東海道は国道1号線に指定されました。しかし、東西方向の幹線道路の位置を拡幅された四条通りに奪われ、四条通りが中心となっていきましたが、明治を代表する建築物は三条通りに多く残り、その面影を今に残しています。
現在の三条通りの様子
現在の三条通りの様子



(2)江戸時代からの町家
江戸時代からの町家
三条通り、そして路地をちょっと入ると、江戸時代からの京町家がまだ残されているところがあります。
間口が狭く奥行きが広いいわゆるうなぎの寝床と言われる町家は、このいろいろな建築物が混在する中で和と癒しの象徴となっています。

【うなぎの寝床】
うなぎの寝床
町家のつくりには、それぞれ意味と働きがあります。その部位について少しお話をしましょう。

【虫籠窓(むしこまど)】
虫籠窓(むしこまど)

中二階部の窓にみられる格子でむしかご(虫籠)のように見えることからその名がつきました。
外からの光や風をとりこむ役目をするのはもちろんですが、格子の部分は、木材にわらを巻き、土を塗ってさらに漆喰(しっくい)で塗り込めて作ることが多く、燃えにくく防火対策をされていたと思われます。


【一文字瓦】
一文字瓦

京都でよく見られる瓦です。瓦の下のラインが一文字にそろっているのが特徴です。軒先が平行に連続することによって統一感のある街並みになる効果があります。いわゆる直線美。
しかし、この下のラインをぴっちりとそろえるのがなかなか技術のいることなのだそうです。つまり、一文字瓦は腕の良い職人さんの手によるものということです。

【忍び返し】
忍び返し

忍び返しアップ
塀や門の上に竹・木・金属製の先の尖ったものがとりつけられています。これが「忍び返し」です。
これは泥棒を追い返すためにつりつけられた防犯用。
縦一列のものや交叉させたものなど、いろいろな形状のものがあります。

これが現代にも残っています。時々、マンションの敷地の境界の塀の上などに鉄製のものが取り付けられています。京都の町を歩くとき、注意してみてください。

現在の忍び返し
現在の忍び返し

(3)明治・大正の近代建築

京都の中心として賑わった三条通りは、明治に入り、文化や金融の中心となり発展しました。それらの建築物は煉瓦を取り入れた近代建築の様式で建てられ、現在に残ります。
東京駅や大阪市中央公会堂に象徴されるように、東京や大阪にも煉瓦建築はありますが、その多くは、震災や戦災によって姿を消しており、これだけの近代建築が密集して残っているのは、日本でもここ三条通りだけなのです。
1985年(昭和60年)、三条通りは京都市の「歴史的界隈景観地区」に指定されています。
では、ご紹介しましょう。

【三条通り近代建築マップ】
三条通り近代建築マップ

【1】京都府京都文化博物館別館
京都府京都文化博物館別館
●旧日本銀行京都支店
建築家 / 辰野金吾、長野宇平治
建築年度 / 明治39年(1906)

三条通りで最も目立っている建物です。辰野金吾の設計で、赤レンガに白い縞模様が特徴な辰野式の建物です。辰野金吾の設計は他に「東京駅」があります。

京都府京都文化博物館別館のひみつ
京都府京都文化博物館別館の大理石 建物内部の大理石には、なんと、化石が埋め込まれているものがあるのです!

【2】中京郵便局
中京郵便局
 
建築家 / 吉井茂則、三橋四郎
建築年度 / 明治35年(1902)

当時の郵便局は敷居が高かったのかなと思わせるような壮麗な建物。ルネサンス様式と呼ばれる設計です。この建物は日本初の外壁保存の例となった事で知られていて、中はごく普通の郵便局です。

【3】京都ダマシン
京都ダマシン
●旧家辺時計店
建築家 / 不詳
建築年度 / 明治23年(1890)

同じ煉瓦造りでもちょっとチープな感じがするのは・・・・実は木造なのです。木骨に煉瓦を貼る独特の工法で建築されています。元時計店の京都で最古の民間の赤レンガ建築です。
今は着物生地をリメイクした若者向けのショップになり、道行く人々の足を止める異彩を放っています。

京都ダマシンのひみつ
旧家辺時計店--時計塔 昔、この建物は時計店でした。
そして、この建物の上にはこんな時計があったのです。
 しかし、木造煉瓦造りという性質から腐食が進んで、20年程前に時計塔が取り壊されました。

【4】日本生命保険京都三条ビル
日本生命保険京都三条ビル
 
建築家 / 辰野・片岡建築事務所
建築年度 /大正3年(1914)

辰野金吾の設計。辰野金吾といえば、京都府京都文化博物館別館のような赤レンガに白い縞模様が特徴な辰野式の建物なのですが、これは石貼り。概観は煉瓦とちがいとてもクール。街にもなじんでいるようにみえます。

日本生命保険京都三条ビルのひみつ
日本生命保険京都三条ビル 実は、石壁の内部は煉瓦で、しかも、煉瓦には鉄筋がはいり補強されています。当時の煉瓦つくりの建築物はただ積み重ねただけであったので、「耐震」を考慮した構造はこの建物が最初なのではないかといわれています。

【5】新風館
新風館
●旧京都中央電話局
建築家 / 吉田鉄郎
建築年度 / 大正15年(1926)

三条通りから烏丸通りに入り少し北へ。余計な飾りを省きストイックな印象がします。でも、窓が半円アーチであったり、近くでよく見ると煉瓦の並べ方が窓一列毎に違ったりと細かいところにこだわりがみられます。
2001年、ファッションビル「新風館」として生まれかわり、その内側には、青と黄色の吹き抜けのモダンな回廊空間が広がっています。
今や、若者の人気スポットとなっています。

【6】1928ビル
1928ビル
●旧毎日新聞社京都支局
建築家 / 武田五一
建築年度 / 昭和3年(1928)


建築家の武田五一は京都大学建築学科の創設者としても有名で、京都市役所の設計も手がけています。印象的な3階の星形のバルコニーや、星型の窓など遊び心のある意匠です。
現在はカフェやアートギャラリー、多目的スペースなどになり多くの若者が集まるようになりました。

1982ビルのひみつ
1928ビル--星型窓 最上階には、珍しい星型の窓があります。(写真上)また、三階には星型のバルコニー。(写真下)
この「星型」は、毎日新聞社の社章をモチーフにしたものです。
また、三階のバルコニーは、かつて三条通りを通っていた、祇園祭りの山鉾を鑑賞するためにつくられたという事です。
1928ビル--星型バルコニー


いかがでしたか?三条通りの歴史がちょっとわかっていただけましたか?
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